『映画の中の“罪と罰”~誤解が生んだ名訳・迷訳~』

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数年前、映像翻訳者を目指して学校に通っていた時期があった。その後、日本語ライティングの勉強をしたり、紆余曲折がありすぎて遂には日本語教師になってしまったわけだが、やはり「ことば」の探求は私にとって音楽と共にライフワークのようである。
そんなわけで、この日は久しぶりに映像翻訳の母校で開催された特別講義『映画の中の“罪と罰”~誤解が生んだ名訳・迷訳~』に参加してきた。
映画評論家の木全公彦さんが1960~80年代の邦画・洋画を中心にミョ~な翻訳になってしまった例を挙げながら、ことばの妙を語るという内容で、映画翻訳業界の裏話なども聞けて非常に面白かったので、レポートしたいと思う。

まず驚いたのは、1960年代くらいまでの作品は今のように横文字(英語)の題名を付けることが許されておらず、作品が届く前に字面だけで命名せねばならないこともあったという衝撃の事実。今でこそネットで事前の情報収集も可能だけれど、その頃の翻訳者は身を削る思いでことばを紡いでいたんだろうなぁ。しかし、大真面目だからこそ、後々トンデモ訳に気付いた時に悲劇的な笑いを誘ってしまうといふ。。マザーグースをもじった“Father Goose”(1964年作品) が『がちょうのおやじ』と訳されてしまったように。

また、海外作品を日本語に吹き替える段階で監修が入り、元々の作品が意図していないイメージを観る人に持たせてしまうという実例として『ビートルジュース』(ティム・バートン監督の1988年作品)が紹介されていた。
私はまだ全編を観ていないのだが、吹き替えは監修が西川のりお氏(ちなみに字幕の監修は所ジョージ氏)で、どうやらバリバリの関西弁で自らのネタを入れてしまっている様子。これから時代を超えて長く残っていく作品だとしたら、あまりにも思慮に欠ける扱いだなぁ、と最初は思った。でも、もし作品がその時代を映す鏡だとしたら、のりお氏のネタも含めて、少なくとも日本人が解釈した「その時代の空気」を感じられるとも言える、のかな。うーむ。ティム・バートン監督自身は一体どう思っているのか。とっても聞いてみたくなった。

更に、逆パターンとして日本映画を英語に訳す時も、漢字を使った駄洒落などは英語にするのが困難だったり、仮にできたとしても面白味がなくなってしまったりする。日英問わず翻訳者の苦労は尽きないのだと痛感した。
それでも。「ことば」の奥にある沢山の世界を知ることができるのは、やっぱり楽しいな。日本語教師になっても、その姿勢は全く変わらないので、これからも興味の糸を手繰り寄せて学び続けたいと思う。